創作覚え書き 物語とは…

去年、好きな漫画のSSの二次創作で同人誌に参加してから、書くのたのし〜〜となっています。

しかし、とりとめない会話とかモノローグを書くのは割と好きなのですが、ちゃんとしたお話を書くのは難しい!となりました。
そもそもちゃんとしたお話って何だよって話なんですけど、何となくオチがあるというか、明確な筋道があって落としどころがあるみたいな感じです。ふわっとしているのですが、そもそも、「ちゃんとしたお話」について自分の中で定義できているのであれば、書けるようになっていてもおかしくないはずです。逆に言えば、よく分からん…となっているので、書けないのも仕方ないわけです。

そもそも、僕は小説を書いた経験はほとんどありません。ほとんど、というのはゼロではないということで、中学生の時に友達がいなさ過ぎてイマジナリーフレンドを小説世界で錬成していたことはあります(黒歴史すぎる)。しかし、当時書くことを楽しんではいたものの、誰かに見せることとかを目標にしていたわけでもなく、結局完成には至らなかったわけです。

せっかく今そこそこ書くのが楽しいので、プロットの作り方的なものを勉強できればと思い、最近いくつか本を読んだりしています。そもそも、勉強すればプロットって作れるようになるの?という疑問もわくものですが、どうやら最近読んだ本によると誰でもお話は作れるようになるらしいです。

もちろん、もともとお話を作るのがうまくて、学ばずともできる才能タイプもいるらしいのですが、プロの小説家や漫画家でさえも、必ずしもそういうタイプばかりではないらしいです。端的に言えば、世の中の物語には、ある程度共通の構造やパターンがあって、それを習得できればお話を作れるようになるんだとか。既存の作品の構造を下敷きに物語を作る練習をするのは結構効果があるらしいです。

ハリウッドのようなプロの集まりでさえも、同一の構造の引用や再利用を良く行っているみたいです。それはオリジナリティがないのでは?と一見思われますが、作品には物語の構造以外に様々な要素があるので、似た構造を持っていても実際には全く別のものができるという算段です。そもそも世の中にある物語の構造はギリシャ神話の時代からリサイクルされ続けているという説もあるらしいです。

5歳児くらいの小さなこどもでも、自作のお話を作ったりしますが、その内容はそれまでに読んだ絵本や見たアニメがベースになったものになるらしいです。それは当たり前だろって感じですが、大人でもプロでもあまり変わらなくて、よほどの天才でない限りは、無から何かを生み出しているわけではなくて、数多のコンテンツを摂取したうえで、意識的であれ無意識であれ、そこから得た要素を栄養として新たな作品を生み出しているということです。

※もちろん、既存の作品のディテールをマイナーチェンジしたものは流石に創作とは呼べないようです。新しいものになるためには、一度ディテールから離れて物語を抽象的に捉える必要があるみたいです。

さて、そんなことを言いながらも僕はストーリーを追うのが結構苦手で、映画とか漫画とかアニメとか小説とかいろんなコンテンツを鑑賞しても、これって何の話だったんだっけ?となることが多いです。オタクとしては恥ずかしくてあまり言いたくないことですが、はっきり言って複雑な話は苦手だったりもします。なかなかこのまま数だけ作っても、うまくお話を構成するのは難しそうだな…という壁を感じており、どうせなら本とかを読んで意識的に取り組んでみようか、となりました。例えて言うと、英語のネイティブじゃないので英文法から勉強して理屈として理解しながらじゃないと話せるようにならないんじゃね?みたいな感じです。物語の構造を意識するようになることで、鑑賞する際にもストーリーの理解力を高められないかなと思っています。作る練習をすれば、結果として見るときにも構造が入ってきやすくなるのではと目論んでいます。

ということで、創作ビギナーとして経験値ゼロからお話を作っていくために、いろいろ本を読んだりして基本から勉強しています。割と普段ツイッターで絡む面々でも二次創作をやっている人はいますし、まあチラシの裏(古語)みたいな感じではありますがそういう人にはもしかしたら興味がある話題かもしれないと思い、記事にまとめてみることにしました。 

*物語とは
そもそも物語とは何なのでしょうか。いくつかの本を読むと、なんとなく基本形みたいなものはこんな風に書いてあります。

物語の基本形
・時間の流れに沿って、始まりから終わりに向かって展開する
・何か問題があって、最終的にそれが解決する
(あるいは目標があって、それを達成する)
・解決するまでの過程では、日常から非日常に行って、また日常に帰ってくる

とりあえず、世の中で物語と言われるものは大体この基本形に沿っているよ~という感じで理解しておいても、まあ間違いはない気がします。例えば鬼滅の刃では、ねずこ(変換できない)を人間に戻すことや無惨を倒すことを目標に物語が進んでいきます。スポーツ漫画なら勝利を目指すもので、ラブコメ漫画なら恋愛の成就を目指すものです。1話完結方式の漫画やアニメでは、その1話の中で小さな物語が展開していると言えそうです(ギャグ漫画やコメディといわれるものはこれに入るものが多そうです。日常系もこっちのパターンが多い気がします。)
「日常から非日常に行って、また日常に帰ってくる」という形式は、神話や昔話や現代の冒険ファンタジーに連なる物語の基本形らしいです。これは子どもや知識のない人にも分かりやすいストーリーとして分かりやすいということもあり、昔からよく使われてきた型のようです。

*物語の構成
物語を構成するための枠組みとして、「三幕構成」「起承転結」などが良く使われているようです。別にこの枠組みを意識せずとも物語を作ることはできるであろうけど、使うと便利だよ、という位置づけのものだと理解しています。

三幕構成とは、物語の流れを「設定→対立→解決」と整理する考え方です。
第一幕・設定とはその名の通り場所や時代、そして主人公の性格や目的や課題などが示されるパートです。
第二幕・対立とは主人公が目的達成や課題解決にあたって障害と対立するパートです。
第三幕・解決とは目的達成や課題解決、あるいは失敗など何らかの結果が示されるパートです。

起承転結という型もありますが、三幕構成と言ってることは同じ説もあるらしいです。
第一幕・設定=起
第二幕・対立=承~転
第三幕・解決=転~結
みたいな感じです。
転はどっちに入るんだよ、と思いますが、結構人によって括り方が違うっぽいです。
問題解決・目的達成のパートを「転」とする人もいれば、それを「結」とする人もいます。
前者の場合は、「結」は問題が決着した後の余韻みたいな感じで括っているらしいです。

ちなみにこの起承転結は等分で時間やページ数が割かれるかというとそういうわけじゃないみたいです。
4コマ漫画は1コマずつで起承転結にするのが基本みたいな話も聞いたことありますが、映画とか漫画だったら「承」にあたる部分が80%だとか、40%だとか、いろんな説があるらしいです。

結局、起承転結はそういう風に使い方がふわっとしているので、三幕構成の方が各パートが果たす機能は分かりやすいみたいなところがあります。

応用編としては、「設定→対立→解決」の大きな軸が一つあって、さらに小さい「設定→対立→解決」がマトリョーシカのように含まれていることはよくあるようです。例えば、映画でいえば120分の中で一つの大きなドラマがあるけど、最初の30分、その中の最初の10分の中にも、小さなドラマがある、みたいな感じです。
あとは、問題が解決すると思ったら別の問題が出てきて流れが複雑になる、みたいなパターンもあると思います。連載漫画とかは、最初から終わりが決まってなかったりするので、最初にでっかい目標を立てといてそこに至るまでに話があっちこっちに行く、みたいなことはよくある気がします。

*日常系について(脱線)
僕が良く摂取する漫画とかアニメとかは「日常系」というジャンルで、必ずしも上記の基本形には沿っていないように見えます。じゃあそれが「物語」と呼べないのか?というと、うーんまあ言葉の定義の問題な気もする…という感じですかね。別に「物語」と呼べるものが偉い、というわけでもないですが、上記の定義に当てはまらないものは物語じゃない、みたいな言い方をしてしまうとなんか言い過ぎな感じもしてしまいます。

よく、日常系は「ストーリーがない」みたいな感じで言われることもあるんですけど、それはあくまで、ここまで書いてきたような一般的に物語/ストーリーと言われるような型にはまっていないからというだけだと思うのです。時間が経過する中で進路について決断を迫られたり、イベントが起きたりして生活にちょっとした変化が生じることをストーリーと呼んでも別にいいような気もします。

目標とか解決すべき課題ががあるからいいとか悪いとか、そこにあまり優劣を持ち込む必要はないと思います。日常系という言葉はいい得て妙で、僕たちが日々生きている日常も、それ自体に目標とか問題提起みたいなものがあるかというとそうでもなく、割と淡々と続いていくところがあります。いや、絶対達成したい夢があってそれのために生きるみたいなドラマチックな人生もありえますが、そうじゃない人も結構多いわけです。ただ生きていくために生きるなんてこともよくあるわけですし…。

そんな日常の一場面を描く作品、まさにslice of lifeですが、その切り取り方や小さな心の動きに共感したり笑わされたり、そこから気付きを得たりする、そんな楽しみ方があるのが日常系なんじゃないですかね。

(脱線からの余談)
ゆるキャン△は最初に問題提起があって、それを解決するために進んでいく話というわけではないですが、話が進む中で登場人物の関係性や内面には変化が生じていくような、日常系の作品だと思います。一方、劇場版のゆるキャン△では「キャンプ場を作る」という明確な目標が話の軸としてありました。それ自体の賛否は置いといて、幅広い層に向けた映画としてはやはり一般的な定義での「物語」であることが求められるのだな~と思いました。多くの人はエンターテイメントに日常ではなく非日常を求めていて、ゆえに日常系では物足りなく感じる、ということなのかなーと解釈してます。

この記事では、いろいろ大枠的なことは書いてみたものの、物語の具体的な中身にはあまり触れていけなかったな、と思います。そのあたりについてもそのうちもうちょっとメモをまとめてみたいと思います